『神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べんとするに言語壮絶す。いわゆる
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものなり。
似而非神職の説教などに待つことにあらず。
神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。』
上の文章は、明治45年、明治政府による神社合祀に対し、南方熊楠が神社合祀反対運動への協力を求めて東京帝国大学農学部教授であった白井光太郎氏に宛てた書簡文中の一文
(現代語訳)
「神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べようとすると言語が途絶する。いわゆる
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものである。
えせ神職の説教などを待つことではない。
神道は宗教に違いないが、言論や理窟で人を説き伏せる教えではない。」
宗教学者・中沢新一は南方熊楠コレクション「森の思想」(河出文庫)で、この南方熊楠の神社合祀に対する意見書の中のこの部分について次のように書いている。
「秘密儀の宗教は、表象を立てない。何か本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、全身で体験するとき、人々は「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ような、不思議な感覚につつまれるのだ。それは、言語による表現や解説によるのではなく、神社と神林のトポスがつくりだす、ナチュラルな神秘感だ。人の世界を越えた、畏敬すべき何かの力を感じ取る。このような自然感情が、日本人に謙虚さと落ちつきをあたえてきた。」
私は神道とは何であるのかを語るほどに神道というものを理解できていない。
神道のみならず、仏教であっても残念ながら同じように答えざるを得ない…。
ただ、熊楠がしたためたこの意見書には、熊楠を通じた神道を知ることができると同時に、熊楠の信じた生き方、熊楠が感じていた生命をありありと感じとることができるような気がしてならない。
それは単に神道という宗教が持つ歴史性や神秘性を守る為だけの行為では無い。
それは熊楠が一生をかけて見ようとしたこの世の全体性…熊楠が見続けた生命そのものの現れであり、この世の全ての生命に対する畏敬の表現であると思うのだ。
そう思いながら、熊楠のこの書簡を読んでみる…。
熊楠は書簡の中で、伊勢神宮を訪れた西行法師が詠んだと伝えられている言葉を引用する。
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」
…何がいらっしゃるのかは知らないが、有り難さに涙がこぼれる。
私の何処かで…、
私の感覚の奥底で同調し震えるものがあることを感じる。
いつか何処かでその感覚に私も包まれていたことがある。
それはいつ
それは何処だっただろうか…
私の感覚はそれを覚えている。
熊楠が生きた明治の国家は、記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって、神道を国民のアイデンティティーを形成するための精神的装置にしようというもくろみをもっていた。
日本国家はそのもくろみを、その後、太平洋戦争終結まで持ち続けることになる…。
私たちが生きる「いま」という時代が、熊楠が神社合祀に孤軍奮闘反対したそれ以前の状態に戻ったとは残念ながら思えない。
それどころか…
私たちは森の木々を伐採し、破壊しながら、便利さをという幻想を、ただひたすら追い求め続けている。
何か本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、
全身で体験するときはあるだろうか。
人の世界を越えた、畏敬すべき何かの力を感じ取る場所はあるだろうか…。
この世に生きる私たちは本当は誰も皆
「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」
そんな不思議な感覚につつまれながら生きたいと願っている。
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