共に生きること

クリスマス直前に右目の様子がいつもと違うことに気がついた。
いや…ほんとうは、気がつきたくなかった…。

数か月ほど前から、粘膜類天疱瘡の治療に使用しているステロイド薬の副作用が顕著に身体に現れ始めた。
薬によって想定される副作用はある程度はわかっているものの、その副作用が何処に現れるかは、人によって違いがあり、それが何処に、何が起こるかはわからないという。
自分の場合は2か月ほど前から、眼圧が急激に上がる「ステロイド性緑内障」を引き起こしていたこともあり、目の不調は特に気がかりではあったものの、それでも、これは以前の症状とは違う…いつもと何かがちょっとだけ違うだけで、少し経てばいつもどおりに戻る…と思いたかった…。

網膜静脈閉塞症は、網膜の静脈が閉塞し(血管が詰まって血液が流れなくなる)眼底出血を引き起こす病気。
静脈が詰まると、そこまで流れてきた血液の行く手が阻まれ、末梢〈まっしょう〉側(心臓からより遠い方)の静脈から血液があふれ出す。あふれた血液は、網膜の表面にカーテンのように広がる眼底出血となったり、網膜内に閉じ込められ網膜浮腫〈ふしゅ〉…網膜の腫れを起こし、眼底出血が広がっている部分の視野が欠ける、あるいは網膜浮腫では視力の低下として自覚されることがある。とくに、黄斑〈おうはん〉…網膜のほぼ中央にある視力にとって最も鋭敏な部分に出血や浮腫があると、視力は極端に低下する。
網膜の静脈は、眼球の後方にある視神経乳頭〈にゅうとう〉で1本になり、そこを終点に集合するように、網膜全体に枝分かれして広がっているそうだが、網膜静脈閉塞症は、静脈閉塞が起きた場所により、病状に大きな差があり、静脈の枝の部分が閉塞した場合を「網膜静脈分枝〈ぶんし〉閉塞症」
乳頭部で静脈の根元が閉塞した場合が「網膜中心静脈閉塞症」

自分の場合は、「網膜中心静脈閉塞症」

確立の低さにあたるセンスがあるのだろうか…網膜静脈閉塞症のうち8割以上は静脈分枝閉塞症とされ、中心静脈が閉塞する「網膜中心静脈閉塞症」は確率的には低いらしい…。
原因として、一般的には血圧の急激な変動がきっかけとなったり、あるいは血管そのものの炎症、薬の副作用である可能性も大きいが、今のところ原因は特定はできていない。

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痛みを表現することは難しい。
痛みを感じながらも、所詮自分は美術家でありたいと願ってはいるだけで
この痛みを表現するとは何であるのかすらわからないまま…。
自分が今抱えている痛みを伝えるとは…そもそも自分が感じているこの痛みとは何なのかすらわからない。

どんな病気であれ、病気は何かしらの痛みを伴う。
とりわけ、不治であったり、難治であったり…ましてや死を目の前にした人であれば、傷を負ったときに感じるような身体の「痛み」ばかりか、言葉に尽くせぬ不安という痛みを心に感じつつも、そもそも、自分の痛みを表現する…などということは微塵も思うこと無いほどに、痛みは全身を貫いているのかもしれない。

見え過ぎ…と言われるほどの視力が、ある日、突然急激に低下したことに始まった不安。
今年に入り、その後の経過があまり思わしくはない。今後は眼球への投薬注射とレーザーによる手術となるが、今のところは、全く見えないわけではない。現在の視力だけで判断すれば、私以上に視力が悪い人は世の中には幾らでもいる。
とはいえ、このままでは失明の危険性は拭えない…このまま視力が回復する可能性は低い…という現実を素直に受け入れられるほど自分は成長できていないことを痛感する。

あの日までは見えていたのに…
二度とあのように見えることは無い…
なぜ、こんな病気にならなければならないのだろう…。

これが病気…であるということを、生れて始めて知った。

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「心の痛み」とは、病気や死を前にして感じるさまざまな不安や心配だとすれば、
どうやら自分は、いま抱えている不安や心配を、一度でも自分の表側に出してしまうと、もう自分の力だけではこの痛みを抑えることができなくなってしまうのではないかと思っているような気がする。
それは、迷子になった子供が必死に泣くのを我慢していた矢先、母親の姿を見つけるなり、堰を切ったように泣き出してしまうようなもの…であるかもしれない。

「患者」を意味する英語「patient」には、「我慢する人、忍耐する人」という意味があるそうだ。
たしかに、病気を抱えるということは、身体的な痛さや様々な辛さにさいなまれながらも、その苦しみと向き合いながら過ごすということでもある。
…。
誰しも、苦しみと向き合って過ごすことは辛い。
この辛さに打ち勝つためには、自分が強くあらねばならない…と人は思う。
自分もそう思う。
ただ、自分に限らずおそらく日本人の多くが思う、『強くあらねばならない』には、我慢や忍耐の意味合いが強く含まれていることは否めない。それはまた、「痛み」という辛さを他人に伝えることは、そもそも自分が弱いからだ…と何処かで思っているからかもしれない。

昨年の3.11・東日本大震災では、数え切れない程の痛みと辛さが多くの人々を襲い、未だそうした痛みや辛さは癒えてはいない。
私たちはあの震災で、「強くあらねばならない」とは「これからを共に生きること」であるということを学んだのだと思う。
もちろん、痛みや辛さは主観的なもの。
それに立ち向かうのは自分…逃げることはできない。
私たち日本人が長く持ち続けてきた我慢や忍耐という精神性を全て否定することはできないけれど、人が否応なく抱えてしまった痛みや辛さを自分一人だけで背負うことの美徳は存在しない…それはもはや幻想であることを私たちはあの震災で身を持って知ったのではないだろうか。

「これからを共に生きること」
…言葉にすることは容易く、実践することは難しい…。

美術あるいはArtという生き方を選んだ私が抱えることになった病。
病は私に大きな「身体的痛み」と「心の痛み」をもたらしている。
…とはいえ、病を抱えている…とは言っても、身体の不自由さが無いことは幸い。
「いまここ」 ですべきこと、「いまここ」 でなければできないことがしたい。

自分が抱えたこの苦しみと向き合いながら過ごす姿を、何らかの形によって表すことは、今の自分にできる「これからを共に生きること」への一歩なのではないかとわずかながらに思う。

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