Natural Building

Natural Building
日本語に訳すと、自然の建築…とか、自然建築になるだろうか。
日本ではあまり聞きなれない言葉かもしれないが、アメリカを中心に、土や木や石…といった自然素材を家づくりの材料として用いながら、可能な限り自分でつくる、セルフビルドといった手法も用いながら、建築的な側面を通じて広くNatural Buildingは浸透している。

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東京都日野市個人邸 壁面を子供たちとつくる。

英語であるNaturalを自然、Buildingを建築とか建てること…と訳すことに大きな間違いは無いのだろうけれど、それが何であれ、伝えたい事柄を限られた言葉や単語にあてはめて伝えるしか無い言葉のやりとりには限界がある。
そもそも、地域性や文化や習慣を背景として生れる言語を、背景が異なる他言語に訳すことによってそこに歪みが生じることは当然…言語を訳すことはとても困難なことだ。
ただ、この歪が生じるからこそ…その歪について深く知ろうとすることの中に、私たちにとっての「いまここ」を知る手掛かりがあるような気がしている。

Natural Building は、私たちRIKI-TRIBALの活動にとってとても重要な位置にある。
今後はいま以上さらに、Natural Building という場づくりを通じて、
『自分の力でつくること』の喜びを、同じ未来に向かおうとしている人々とシェアしてゆきたいと考えている。

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PlanterCottage(東京都国立市)…上の写真右下の緑色の部分がPlanterCottage
下の写真は、その内部。 今年、4月限りで借用権が終了し建物は解体されることがきまった。1999年から13年年間続けてきたこの活動はこれで一応終了する。
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森と風のがっこう(岩手県葛巻町) 森のキッチン
「森と風のがっこう」は、岩手県北部、青森県との県境に近い山間の元分校を利用しながら、もったいない・ありがたい・おかげさまをテーマに、知識だけじゃわからない、やってみればわかる、エコロジカルな暮らしを提案している。私たちも、開校から2年後から現在に至るまで、「森風」の理念に賛同し、様々な活動のお手伝いを行っている。森のキッチンは、身近にある材料を見つけ出し、自分たちの力でつくる、森の屋外キッチンづくりプロジェクト。多くのボランティアの力と、数回のWSを織り交ぜながら、約1カ月半で完成。

日本では、ハウスメーカーであれ、住宅工務店であれ…自然素材を選択することは既に、家づくりの前提条件と言っても良いほど…。
この前提条件が、予算や工法などの制約などによって増減することはあれど、近年の日本の家づくりは素材感を通じて自然と繋がろうとしている。

かつての高度経済成長時代から、経済の低迷気へと時代が変化するにあたり、経済は自然やエコロジーを経済戦略の中心に据えて久しい。
既に自然やエコを謳うことに斬新さは無く、もはやそれは使い古された感があることは否めない。

とはいえ、自然やエコという言葉が社会に広がり浸透してきた“いま”は歓迎すべきだろう。
「自然」という極めて抽象的な概念が社会全体にとって重要さを増すためには、経済的な観点からもまた重要さを得る必要性がある…経済全体が自然という価値感を押し上げるような動きも必要だ。
たとえそれが半ば強引に仕向けられた価値観だったとしても、結果として人々が、自然に対してより深い理解へと向き始めたのだとすれば、それは良しとすべきなのかもしれない。

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茶禅洞(東京都国立市)…茶室

しかし、ほんとうの意味での自然に対する意識の芽生え、気付きがこれから起こるかどうか…“いま”は単に始まりにすぎない。
私たちの生命が自然と一体であるということについて…自然との繋がりについての学びはいままさに始まったばかり。この学びを如何に永続的に持続させるかは、私たちの生命のみならず、地球全体に息づく全ての生命にとって欠かすことができない重要課題であることは言うまでもない。

そしていま、自然と向き合う為の『場』が必要だ。
「場」とは、ある場所や地点だけでは無い。
それは、場所と人やその周りの環境が一体となってつくり出す“流れ”や“うねり”あるいはムーブメントに近い。
イメージを越え、全身の感覚によって実感として感じられるような…自分が自分以外の生命と繋がりあっていると実感する為の『場』
その「場」へと繋ぐもの。
Natural Buildingはその為の重要な機会となるはずだ。

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川崎市多摩区 個人邸 公団住宅の改装

いつの頃からか、「家」や「村」のしきたりやきまりごとに堅苦しさや不自由さを感じる人々が増え、「家族」のあり方もまた多様化することによって、家制度や村社会がはたしてきた、「共同性についての学びの場」として機会は失われてしまっているのが現実だ。
もちろん、学校教育を始めNPOなど様々によって、共同性の学びの機会は存在する。
けれど、『生命とは部分の積み重ねでは無く、一つの有機的な繋がりである』という全体性への気付きは、暮らしという一つの繋がりを通じて沸き起こるもの…その意味からすると、かつて家や村がはたしてきた役割を、それ以外が担うことはとても難しいことだと思う。その難しさは、Natural Building にとっても同じかもしれない…けれど、自然と向き合い、自然を感じながらつくることによって、人と人、人と自然が繋がりあっているという一体感がより鮮明に、より具体性を増すことによって、新しい共同性が育まれるのではないだろうか。

Natural Buildingは、自然の中に息づく生命と自分という生命を繋ぐイメージから始まる。
例えば「木の家」…自然とはこの世の生命が息づく全体の姿…連鎖と関係の網の目の中にあると同じように、「木の家」という全体の姿を生命という視点から見てみれば、その周囲には驚くほどたくさんの生命を見つけ出すことができるはすだ。
木や土や石や水…といった部分をいくら積み重ねても自然という全体には至らないと同じように、自然素材を積み重ねるだけではNatural Buildingには至らない。

Natural Building を自然の建築」と訳すことは間違いだ…とは言わないまでも、そう訳してしまうだけでは、大切な何かを見落とされてしまうような気がする。
大切な何か…それは自然に向き直ること、自然への理解、自然への気付き…それがNaturalであり、それがあることによって、建築へ…自然と建築との関係づくりへ…Buildingへと繋がってゆく。
限りなく連鎖し関係し合う一つの有機的な繋がりをイメージする為に…
「自然に対する深い理解と気付きの為の建築」
それがNatural Building 「自然の建築」なのではないかと私は思っている。

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東京都国立市 個人邸 ベランダを“空き缶”と”土“でつくる。

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