「ネアンデルタールの火」

「火の力」

赤々と燃える焚き火。
その炎を見つめながら薪が爆ぜる音を聞いていると、かつて狩猟と採集によって暮らしていた人間と現代に生きる私との間には、いったいどれほどの違いがあるのだろうかという想いが沸き起こる。
彼らが見ていたであろう火は、いま私が見ているこの火と同じ火なのだろうか。
いま私の中に、彼らと同じ火への想いがどれくらい残っているのだろうか。

人の歴史とは、火との関わりの歴史。
何万年、何千年という長きに渡って、人間は火と関わり続けてきた。火が持つ絶大な力を感じ知っていたからこそ、火を使いこなそうと努めてきた。
あたかもそうしたことが実現したかのように思えるほどに科学や技術が進展し、もはや火は、私たちにとっての脅威では無くなったかのような社会。
火は、遠ざかり、見えない場所へと追いやられ、街中からは焚き火が消えて無くなり、台所の火は電気へと移り変わった。

オランダの社会学者ヨハン・ハウツブロムは、著作「火と文明化」の中でこう書いている。

それ「火を扱う能力」はまた、言語、もしくは道具の使用よりもさらに広い範囲で人間だけに限定されている。言語の基本的な形態や道具の使用もまた人間以外の霊長類やその他の動物の間でも見られるものの、人間だけが文化の一部として火を支配することを学んだのである。

でもしかし、人間だけがそれ「火を扱う能力」を持つことによって、この世の生命の平等性は著しく阻害されてしまっていやしないだろうか。

3年前のあの日。
核という火であろうとも制御可能だと…、
火を完全に支配したと信じ込んだ人間の驕りを、あの大地震と大津波は、粉々に打ち砕いてしまった。

そして思う…人間だけが「火を扱う能力」を持っていたということでは無い。人間以外は火を扱わなくとも生きることができる能力があったと言うことなのだと。

ハウツブロムはまた、人類が自然の中で最初に火と遭遇したときについて、

彼らはそれを「自然に起こる出来事、自分たちでは制御できない出来事、良かれ悪しかれ自分たちが適応しなければならない出来事」として経験しただろう…という。

もしも本当にそうであったったとすれば、人類はその瞬間に、火と、火を生み出した自然に対して、畏怖畏敬の念を感じたのだと思う。
「古事記」「日本書紀」にあるカグツチの神話は、火と遭遇した瞬間に生じる、戸惑い、恐れ、絶対的な力…火に対する畏怖畏敬の念が表わされている。
イザナギとイザナミが大八州(おおやしま=日本列島)を生み出してから最後、火の神であるカグツチを生み出した母神イザナミは、カグツチの火熱によって火傷を受け亡くなってしまう。愛する妻を失ったイザナギは悲しみと怒りから剣を抜きカグツチの首を切り殺し、その血からはさらに激しい火炎を持った神々と水の神が生まれた…。

もしもあの時…人類が火と最初に遭遇したその瞬間に、「自分たちでは制御できない出来事」であると感じなかったら…それを認めていなかったとしら…。
人間の想像をはるかに超える自然の力が存在していると感じずに、それを認めていなかったとしたら…。
もしもそうでなかったとしたら、人類は既にこの世からいなくなっていたのかもしれない。
私たちの祖先である人間が、「良かれ悪しかれ自分たちが適応しなければならない出来事」として火との関係を築く決意ができたのは、人間の内に生じる、「自分たちでは制御できない出来事」である感情もまた、「良かれ悪しかれ自分たちが適応しなければならない出来事」であり自然…
人間は自然には逆らえない…火は私たちにそれを気付かせてくれるものであると認識したからだと私は思う。

 

「火の味」

人類がいつ頃から火を使い始めたのかは諸説あるものの、いまから20~3万年前、ヨーロッパや中東で生きていたとされるネアンデルタール人が頻繁に火を使用していた痕跡が確認されていることから、少なくとも、人類はこの頃には火を使って生活をしていたのはほぼ間違いないと考えることができるそうだ。
ただし、彼らが食べたのであろう動物の骨が多数発見されてはいるものの、火を使って調理していたかどうかは定かではないらしい。

人類にとっての最初の火とは、ハウツブロムがいうように、「自分たちでは制御できない出来事」として破壊的な側面を持つと同時に、火事の後には、以前にも増して植物が芽生えることや、火に焼かれることによって物質が変化するといった、生産的側面もあることもまた教えてくれるものであったのだと思う。
そしてある時、偶然発見したのであろう…火事で焼死した動物の屍骸を他の動物が食べているのを見て、それを食べてみたのかもしれない。そうして人類は、火を通すと食物の味が良くなることを発見する。それは人類と火の関係性に於いて極めて革命的な発見であったはずだ。

縄文・弥生時代の土器を、味という観点で研究している考古学者がいるという話しを聞いたことがある。
人類が美味しく食べることを知ってしまった以上、不味さを我慢して食べていても生命は輝かない。そこで例えば…、大根やニンジンのような細長い野菜類は、小さく切らないで、長いまま煮た方が味は良くなることを知った彼らは、大根調理専用土器や、ニンジン調理専用土器を作っていたのではないかという仮説のもと、縄文調理方法を研究しているということだった。確かに、多くの食物は、火で調理されることによって、苦みや渋みが減り、甘味が増す。そのことを思うと、なるほど、博物館に展示されている土器を眺めているだけでは、調理された味まではわからない。なにより、私たちよりもはるかに火に親しんでいたであろう縄文人だから、火の使い方も調理方法も知り尽くしていると考える方がもっともなのかもしれないし、食物が柔らかくなれば、消化効率は上がり、エネルギーを大幅に節約することもできる。
ピテカントロプス、ネアンデルタール、クロマニヨン、ホモサピエンスと、現代に近づくに従って、下顎の骨が小さくなっているのも、熱による加工を示唆している証拠であるそうで、食物に火を通す頻度が増えるにしたがって顎の力は次第に必要で無くなっていった結果であるらしい。
本来、体がやらなければならない仕事を火が代わりにしてくれた結果。

私たちの体には、火との関係性がしっかりと刻み込まれているということなのだ。

 

「火造り」

わたしたちは、人間社会で生活するよりも前に、なによりもまず、自然に相対してどう生き延びるのかを考えねばならない。
植物や獣の肉を調理するにも、寒さをしのぐにも、獣から身を守るにも…、自然の中で生きるには、まずはじめに火が必要であった。
人間の中ではいくら屈強ではあっても、野生の獣に比較すれば身体的には貧弱な人間が、自然の困難さを克服し生きるため…火はまさに命そのものであったのだと思う。

彫刻を学ぶために東京の美術大学に入学した私は、通常カリキュラムのデッサンや塑像に飽き足らず、入学して早々から、石を彫るための工房に出入りするようになっていた。「石彫場」と呼ばれるその工房には大小様々な石がゴロゴロと転がり、先輩たちは実に個性派ぞろいだった。一日中、カンカンと石を刻む音が響いていて、休憩時間ともなれば誰かしらが必ず、あたりまえのように火を焚きはじめていた。
夜ともなれば、その焚き火でうどんを煮たり、鍋をつくったりはあたりまえ…。時には、豚の半身を肉屋からそのまま買ってきて、穴を掘り、焚き火で熱した小石を放り込み、布でぐるぐる巻きにしてから土をかけて埋めて蒸し焼きに…。大学のあちこちから何十人も人を集めて食べた。もちろん、火を囲んで酒を飲み、歌い踊る…と、やりたい放題。よくもまぁ、みんな退学にならなかったものだと思う。生まれてからこのかた、あんなにも焚き火ばかりしていたのは、石彫場にいたあの4年間だった。

大学内の治外法権区域とも言われるほどの石彫場ではあったものの、大学施設内であれだけ派手に焚き火が許されていたのは、そもそも、石を彫るためには石を彫るための鑿(のみ)が必要で、その鑿は、鋼の鉄棒を灼熱の炉で熱し、叩き鍛える鍛造という手法を用いて、自分でつくらねばならなかったからだ。ただしこの頃には既に、鑿の先にタンガロイと呼ばれる超硬合金が埋め込まれた鑿が主流になっていて、「火造り」と呼ばれる一連の鑿づくり作業は、特殊な鑿を必要とする時以外は、石彫場の言わば新入生歓迎行事のようなもので、石彫場の新入りはまず火造りを覚え、それからようやく石を刻むことを教わった。
毎年旧暦の十一月八日には、仕事場に設けられた神棚に作業の無事を祈願する「鞴祭り」(ふいごまつり)も行われたり…石彫場に火は欠かせないものだったのだ。
あらためて思い返してみると、こうして私がいまここに至る大きなきっかけは、あの石彫場での生活があったからだと思う。
そして思う…人は火の前で想い、火の前で育つものなのだと。

 

 

「火と生命」

火を持たない民族はいないものの、火を起こす方法を知らなかった民族としては、インド洋に暮らすアンダマン島民と赤道アフリカに暮らすピグミー族が確認されているそうだ。
アンダマン島民やピグミー族がどうやって火を手に入れるのかはさて置き、火を起こすことができないのであれば、火が消えることの無いように守らなければならない…そうして、火種を絶やさないための技術や生活習慣が確立してゆく。
それ以外は火を起こすことができたとは言え、現代の私たちのように、火を必要に応じて点けたり消したりできなかったし、なにより、火とは本質的に、「自然に起こる出来事」であり、人が容易につくり出せるものではなかったのだ。
日本では幕末(1827年)に、西洋からマッチが西洋ツケギとして入ってくるまでの間ずっと、火起しは、古代から続く発火法に頼らざるを得なかった。
だからこそ、火を「一つの生命」とみなす意識が育くまれ、そうした意識が、火で調理し、火の傍らで食べ、火の温もりの中で眠る…といった「家」あるいは「家族」へと引き継がれていったのであろう。
家の中で炉火が消えるとは、家族の命の衰え、もしくは、死をも暗示すると思われたのも当然であっただろう…そのことを想像すると、火を如何に守るかが家という機能にとっての極めて重要な役割であったと考えることもできそうだ。

日本の先住民であるアイヌにとって、火の女神カムイ・フチは、食物を調理し、部屋を暖める炉火そのものであり、神々と人との仲介者でもあるそうだ。カムイ・フチ以外の神々には人の言葉がわからない。人々は何を神々に祈るにせよ、カムイ・フチに祈ることによって、神々へのとりなしを頼むのだという。

少し前の時代まで、家には竈があり、新年には、竈にしめ縄が張られ、台所や風呂の焚き口には火除けのための札が貼られていた。
やがてマッチが普及し、家に電燈が灯り、竈が無くなった。
火の神々は神棚へと居場所を変えた。
そしていま…家に火はあるだろうか。

 

 

「火の未来」

あの日。北の国の3月11日はまだ冬の最中。あまりに巨大な揺らぎに打ち震えた人々にとって、暖を獲れるか獲れないかは生死に関わる極めて重大な問題であったはずだ。
暖房用の灯油と自動車のガソリンを買い求める長蛇の列は、私たちが生きる「いま」を想像するに十分な光景であったと思う。
あれから3年。
「いま」は、依然としてあの時の「いま」のまま…
変わらずにあり続けている。

国土の68%の森林を抱え、唯一と言ってもいいほどの自給可能な資源である森林資源には手を付けぬまま、国内需要の約8割の木材を、中国、マレーシア、カナダ、インドネシア…から輸入する、世界有数の森林大国、木材輸入大国。
世界人口、推定70億人のうちの約半分…およそ30億人以上の人々は今も、木や枝、おが屑、紙屑、家畜の糞や食料残さ等のバイオマス燃料を燃やしながら生きている。
既にアフリカ諸国では、調理に必要なエネルギーに占める木質燃料の割合が9割を超えているにも関わらず、森林そのものの急速な減少、急激な人口増加の影響もあり、木質燃料は絶えず不足し続けている。

いまから30年程前…紛争によって国を追われた人々が暮らす難民キャンプや発展途上国では、木質燃料を燃やすことによって起こる、室内空気汚染による健康被害の深刻化していた。
ロケットストーブ(RocketStoves)は、こうした問題を解決するためのプログラムとして、1982年頃、米国オレゴン州に拠点を置く、持続可能な生活体系の研究・教育を目的としたNGO Aprovechoのテクニカルディレクター、ラリーウィニアルスキー博士らによって開発された木質燃料が燃焼する際に出る煙を再燃焼させるシンプルな燃焼構造。
熱帯域や亜熱帯域では、食料や水に火を通すことは、疫病を防ぐために特に重要だが、ロケットストーブは、煙を燃やす=燃料にすることによって、煙を減らすと同時に、森林の減少、難民キャンプの燃料不足、貧困や暴力…など、複数の問題についての解決策としてのイメージも合わせ持っている。
大きな特徴は、物資や資金による支援では無く、生活環境の改善プログラムであるということ。材料やマニュアルはもちろん必要ではあるけれど、自らの生活環境を改善するとは言え、「いま何が問題であるのか」を知らないままモノやカネだけを提供されても、状況はすぐに元に戻ってしまう。
ロケットストーブにとって最も重要なことは、いま何が問題であるのかを知ることによって、『自らが考え、行動する力を持つこと』であり、『これからの未来を想像する力を身につけること』であると私は理解している。
もちろん、ロケットストーブだけで問題を解決できるとは言えないが、持続可能性社会を育む、極めて大きなきっかけの一つであることは間違いない。
しかしいま…、ロケットストーブは拡がり続けてはいるものの、世界の状況はこれよりも早く、さらに悪化している…。この最も大きな理由は、深刻化し続ける貧困問題。
このままでは大地も人も、生き続けることは難しい。

人類が最初に火と遭遇したあの日。
「自然に起こる出来事、自分たちでは制御できない出来事、良かれ悪しかれ自分たちが適応しなければならない出来事」
いま私たちは、その火を想像し、分かち、守り育てねばならない。

 

 

「火と想像力」

私に、想像力とは何かについての大きな気付きを与えてくれた、ガストン・バシュラールは、『火の精神分析』で、火について想像している。
この中の一節を、ネアンデルタール人に捧げたい。

火は内的であり、かつ普遍的である。
火は人間の心のうちに生きており、また天空のうちに生きている。
それは物質の内奥からたちのぼり、愛のように身を捧げる。
それは物の中にふたたび降ってゆき、憎悪と復讐の心のように潜み、抑えられて身を隠す。すべての現象のうちで、火はまったく異なる二つの価値、すなわち善と悪とを同時に文句なく受け入れることのできる唯ひとつのものである。
それは楽園で光り輝き、地獄に燃える。
それは優しさであり、責苦である。
それは煮炊きする火であり、黙示(アポカリプス)の火でもある。
それは炉端におとなしくすわっている子供にとっては喜びである。
にもかかわらず火は子供が図に乗ってすぐそばで焔と戯れるときには、どんなわがままも罰するだろう。
火は安らぎであり、尊いものである。
それは守護と威嚇、善と悪の神である。
それは己れ自身と矛盾することが可能なのだ。だからこそ、それは普遍的な説明原理のひとつとなるのである。

ガストン・バシュラール『火の精神分析』
「第一章 火の尊敬 プロメテウス・コンプレックス」より

 

 

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